「…ッおい」 「なあに?」 「どういう、つもり、だ」 「如何言うつもりって…」 神田の息苦しそうな声が聞こえて目を覚ますと、“例の現象”よろしく天井に背中が当たっていた。 『(…浮いてる)』 ああ、そういえば昨日はあの後 いったん調査は打ち切りにして眠りに付いたんだった。 寝足りないのかぼんやりとした頭で神田の声がする方、下を向くと、――空色の目をした"例の少女≠ェ、神田の腹の上に跨っている。 「(…?)」 何、おいおいどんな状況だそれ。 うまく飲み込めないシチュエーションに頬を引き攣らせてから目を凝らすと、空色の目をした例の少女=Aというよりは、むしろ『空色の目をしたオレ』と言ったほうがわかりやすいのかもしれない。 何故って、オレが寝たときの格好そのままで、背丈も変わらず、目の色以外はほぼ全ての項目が オレと一致していたからだ。(それに、あの子はもう少し幼い感じだったし)。 そして今度はどんな夢なんだろう、と疑問のかたわらで考えていた。(こうも毎日夢を見ると、思考する余裕も出てくるようだった。) 「殺すつもり…だけど?」 ―――殺すつもり、の夢らしい。 まったく望んではいないし、むしろ見たくもなくて、これが何を意味する夢なのか考えたくもない代物だった。 「…どうして、」 「あなたがあの子≠取ったからいけないの」 「ッ、…あの、子?」 「ずっと一緒って約束したのよ。 それなのに、あなたがっ…」 彼女はどうやら、神田の上でただ単に跨っている というわけではなかった。 力いっぱいで首を絞めている。 糾弾に近い声でいったん言葉を止めると、ハッと思いついたようにまた言葉を続け始めた。 「そう、そうよ。あなたがいけないんだわ!あの子を泣かせたのはユウくんなんでしょう!」 「 …、(あの子…?)」 ヒステリーに一層磨きが掛かったせいか、少女の腕からは少しだけ力が抜けたようだ。 息苦しさに今にも負けそうな神田の手が何かに縋り付くように彷徨った後、シーツをギリッと握り締めると一気に上体を起こして、ゴツンッという鈍い音がオレの方にまで届いてくるくらいの頭突きを彼女に喰らわせた。 「グッ、ゲホッ!」 突然 喉に入り込んだ酸素に身体が驚いたのか、神田が口元を押さえて咳き込む。 その傍らで頭突きを喰らった彼女は、音も無く神田の胸へと倒れこむ。(気を失ったようだ。) 「……俺は、泣かせてねぇだろうが」 咳の治まったらしい神田が、ぼそりと呟く。 それを期にして、オレの意識もぼんやりと遠くへ行ってしまうのだった。 *** ふっと瞼が開いて、白んできた空から覗く光が静かに室内を照らしていることがわかる。少し早いが、朝だ。 ――また今日も変な夢だったな…。 欠伸をすると思い出したように頭が痛んだので、前頭部に右手を添えるとたんこぶが出来ていることに気が付く。 「(あれ?なんで…)」 オレ、どこかに頭をぶつけたりなんてしたっけ。 そんなどうでもいいくらいの疑問を振り切るには、隣で寝ている神田を確認するための動作だけで十分だった。 「神田、朝だよ」 情けない話になるけれど、が居なくなった日から睡眠という行為が憂鬱としか感じなくなっていた。(寝つけても、彼が居なくなった日の夢ばかり見ていた所為かもしれない)。でも隣に人が居ると、人間の体温が在ると安心でもするのか夢は絶対に見なくなる、だからこうして神田によく甘えさせてもらう。 「…っ…、起きてる…」 「寝てただろ」 「うるさい、」 だから、今日あんな夢を見たのは少し例外過ぎたんだ。よりによって神田を殺しかけるなんて、そんなのは余計に。 神田の肩を揺するとぴくりと瞼が動いて、舌足らずな声が耳に届いた。ああほら、いつも通りじゃないか。 身体を起こし、鬱陶しそうに長い髪を退けた神田の姿を見て ほっと胸を撫で下ろ 「…うそ」 神田の首に赤い指の痕が在る。 「?」 「ウソ、嘘だッ…!」 これじゃまるでさっきの夢が、現実で起こっていた出来事のようじゃないか。 否、起こったんだ。 現実で物理的な圧迫があったから、こうして神田の首は赤く鬱血している。夢じゃなかったなんて。それなら、 「さっき神田の首を絞めてたのは…っ」 オレだったのか。 「違う」 うろたえるオレの言葉をはっきりと遮り、神田は首を横に振る。 黒曜石の瞳は、あくまではっきりとオレ≠見据えていた。 「あれはお前じゃなかった」 「 それなら、」 だれ? ――…ズドォン! 「「!?」」 それはあまりにも唐突な爆発音だった。 たったの二文字を神田に尋ねようとしただけなのに、あくまで客観的に進む時間は主観者たちの事情などおかまいなしのようだ。 頭の整理が追いつかないオレを置いてけぼりに、神田は腰まで伸びた黒髪を頭のてっぺんで結いながら窓を押し開けて外の様子を覗いた。 すこし遅れて、オレもベッドから立ち上がり外を見る。 裏の森の中心部が微かに赤く、そしてそこから黒い煙がかすかに燻っていた。 たたたっ、 ――微かな気配。 存在を気付かれないようにと、意図的に自分の気配を消している様子の人影がちらほらとその中心部へ走っていくのを確認する。 そして、よくよく目を凝らすと、その中には昼間に調査をしていた時 オレを拒絶するようにして家の中に篭った例の女性の姿もあった。 「…人間か?」 神田に続いて団服を着込みながら、尋ねられた内容に答えようと耳を澄ます為に目を瞑る。 マテールの任務から、もう3ヶ月は経っている筈なのだが未だにアクマの声を聞こうとすると耳が痛んだ。今まであまり使っていなかったもんだから、こっちもきっと脚の筋肉とかと同じでびっくりしたんだろうな。 『助けテ』 『助けてクれ痛い、痛い』 『痛い、痛いよ、痛い痛イイ痛イヨ痛いいタああ痛いイいた痛い助ケて誰カ嫌だ壊しテくレアア痛いイ 』 「アクマだ!」 「チッ、 そうかよ」 窓の桟から身体を放り出すと、ぐるんと一回転したあと空気を蹴って上に飛び上がる。「 『エクソシスト!?』 「ああ、そうさ! なあお喋りしないか、オレと。」 右手でひゅっと空を切ると、レベル2のアクマたちが各々自分の獲物を構えた。 アクマのうちの半数は、後ろに引くべきと判断したのか後退を始めたが、すぐにそんな彼らの爆発音が響くことになる。 「災厄招来、――界蟲一幻!」 神田がとっくに詰めていたからだった。 にい、と無意識のうちに上がっていく口角を咎めることもせずに獲物を構えたアクマを見据えると、彼らのうちの一体がチィッと苛立ったような舌打ちをしたあと、腕を変形させた銃筒をガチンと据え、ガウンガウン!、と重い銃音を二発分轟かせる。 『馬鹿め、お前と喋ることなんか』 「――我が姿の前に頭を垂れよ、」 『 貴様ッ、聞いているのか!』 「グラヴィティ!」 鈍い緑色の光が上空から円状に広がった後、ミシシッ、と加わる重力にアクマたちの硬質ボディが軋む。 その間にも二発分のウィルス弾頭がオレの顔面に向かってぐんぐんとスピードを上げていたが、目の端で白い何かがこちらへ向かってくるのを感じたので 特にオレが避ける必要は無いということも察知できた。 ―ガリッ、と銃弾を噛み砕いた白い何かというのは、神田が先ほど放った一幻のこと。 「ありがとー神田ー!」 「…てめェ、避けろよ阿呆!」 「え、だってなんかかっこよくない今の?」 「チッ、命中して顔面崩れた方が良かったか」 「酷い!」 『蟲』とはいうけど、実際よくわからない生き物だよなとウィルスを噛み砕いている一幻の頭を掻くように撫でると、シュウウと音を立てて蒸発するように消える。 オレのイノセンスのせいで動けないままのアクマは、その一連の流れを呻き声を上げて眺めているだけだ。 「この先には何があるんだ?」 『目敏い奴らめ、ノア様の仰った通りだ!』 「…ノア?」 『だが貴様らは無駄足だった、生贄だ!』 『『『生贄だ!』』』 『黒き聖職者には圧倒的な死を、白き吸血鬼には絶望を!』 『『『死を絶望を!』』』 「誰が死ぬか」 さながら何かの狂信者のように言葉を繰り返すアクマに、痺れを切らした神田が六幻を振り上げて次々とボディを切り裂いていく。『ぎゃああ!』加圧で動けないアクマは、抵抗も逃げることもできずただ大人しく斬られていくだけだ。 ――圧倒的な死を受けたのは狂信者の方。しかし、彼らにとっては安らかな。 「!」 「っ…おい、前の一匹抜けたぞ」 「神田、できたら後ろ見て!」 「は…?、チッ!」 斬り進み続けてとうとうオレの目の前まで来た神田に、すごいなと感心するのも束の間 後ろからどこから沸いて出たのかと言いたくなるくらいのアクマが迫ってきていることに気が付く。 ――おかしい、この地区は昔からアクマを拒絶する装置が置いてあるはずなのに! ロックが解除されたのか?それなら誰に?あれのパスワードは領主であるオレの家の人間しか知らないはずだ。 さっきからイレギュラーがいささか多すぎる。 眉を顰めて迫ってくるアクマに向けて右手を差し向けると、神田がパシッとオレのそれを掴んだ。 「…神田?」 「いい、オレがやる」 「でも、一人じゃ」 「なめんな。 それよりお前はさっきの一匹を追え」 チキ、と六幻が鳴いた。 オレの方を見ずにアクマを見据える神田に、「でも」としつこく言葉を続けると、彼は鬱陶しいものを見るような呆れた目で溜息を一つ吐く。 それにびくりと怯えるオレに、しまったというような舌打ちを続ける。 「違う、だから…あいつを追えば、白い獅子≠ノついて何かわかるかもしれねェだろ」 そのもっともな意見にバッと顔を持ち上げると、神田の顔を暫時見つめた後一匹のアクマが向かった森の奥へ顔を向ける。 ――恐らく、さっきの爆発はあいつが じり、と砂をブーツの底で踏みしめると、左足のワンステップを助走に右足で地面を蹴り飛び上がって、もう一度 「神田!」 首だけ彼の方へ向けると、神田の結った黒髪が、オレの解いたままの白髪がひゅるりと舞う。 「「死ぬなよ」」 願うように口にした言葉が、重なったような気がした。 *** 結局が去ってから、相当な時間をアクマに費やしてしまった。 斬っても斬ってもわいてくるというのはまさにあの事だろうと眉を顰めると、前方の木陰から現れたレベル2のアクマが氷の礫(つぶて)を飛ばしてくる。 「チッ」 20匹目から面倒くさくなり数えるのはやめたのだが、感覚的には50以上斬っただろう。 先程の後方から迫ってきた群を片付けたらそれ以上の増援は無かったが、今のように隠れながら待ち伏せをするアクマたちの相手が億劫で仕方ない。 ――パ キン! 足元を氷にされたのでそれを活用しつつ滑れるところまで滑ると、アクマの動きが大振りになった瞬間懐に潜り込み六幻を振り上げる。 いくら硬質なボディと言っても、イノセンスの前では紙を鋏で裂くのと同じくらいに脆弱なものだ。 オイル塗れの六幻の刃を生い茂る草で拭うと、数メートル前方の大樹に暗闇の中で一際目立つ白髪が見える。 「(…?)」 六幻を鞘にしまうと、視線をあたりに散らばす。 考えることを始めたレベル2のアクマにが囮にでもされたのではないかと思ったのだが、そんなことはないようだった。殺気も無ければあいつ以外の気配も無い。 大樹に背を預けたの目の前に立ち様子を見据える。 口と腹から血を流している以外は特に外傷は見当たらない。 跪いて口元の乾きかけた血を拭うと、ぴくりとの白い睫が揺れる。 ゆっくりと瞼が上がったが、そこから覗く紅い瞳の獰猛さがいつもより甘いことに気が付いてしまった。 何か、違う。 「おい、大丈夫か?」 「…ユウくん? 無事でよかった、私すごく心配で…」 違う。 「俺よりお前の方が酷ェだろ」 「私はいいの。 こんなのすぐに治るから」 「…、追いかけてた人間は?」 「やっぱりユウくんの方が心配になって戻ってきたら、アクマにやられちゃって…ごめんなさい」 しゅんと眉を下げての姿をした何かは俯いた。 先の戦いでアクマに傷つけられた俺の上腕部に目をつけたのか、右手のイノセンスを発動させる。 ――イノセンスの適合者は一人だけのはずだ。それなのに目の前の何かはなんなく発動を行っている。 掌を水色の光で溢れさせたの顔は寸分の狂いも無くあいつのものだった。瞳は紅色。発動させているのは、命を引き換えに力を発揮させる最も凶暴なイノセンス、 (思い過ごし…か?) しかし紅目のまま『例の状態』に後退した、なんてこと今までは無かったはずだ。 すっと水色の光が俺の上腕部に近づけられる。 疑心暗鬼のままその状態を見守っていると、目の前の女の瞳に一瞬だけかすかな殺気が覗いたのに気がついてしまった。 「―――チッ!」 右手を忍び置いていた六幻を引き抜いて、威嚇するように鼻先を切りつける。 突然のことだったのにも関わらず、女は警戒していたのかくんと上体を逸らして避けた。 「っわ! …どうしたの?いきなり、」 「お前は何だ?」 「ユウくんったら、こんなところでボケてる場合じゃ」 「お前は、じゃないな」 正眼で六幻を構えると、女はまだ茶番を続けるつもりで「そんな…、」と口に手を当てたが、俺の睨みにそれはもう通用しないことを悟ったのかやれやれと言った様子で肩を竦めた。 白くて長いの前髪をスッと持ち上げると、額を左から右へスススとなぞる。 すると、奴の左半身から近くの空間が蜃気楼のように揺れたあと、そこにの姿とは違う長身で細身の人間が現れた――というべきなのだろうか。 灰褐色の肌に金色の瞳、額に十字型の痕を持つ女は、右側だけ長い黒髪を鬱陶しそうに払った後、口端を不気味なくらい吊り上げて、嗤った。 「困ったな。どうしてわかったの?」 「…普段からその方が好みなんだがな」 「?」 「喋り方も動作もそこまで女らしくない」 「 えっ嘘。 ティッキーったら嘘吐いた…」 どんな話をどんな奴から聞いたのかは知らないが、『ティキ』というのはどこかで聞いた名だ。 (…たしか…を殺した奴とか、)(が言ってたか?) 昔に一時期 騒がれていたノアとかいう奴らなのかもしれない。 最近はめっきりその名を聞かなくなっていたが、また現れたのかと内心舌打ちをする。 目の前のなよなよとした外見からは、ただの弱弱しい女というイメージしか汲み取れないが、先ほどのを装っていた能力は気がかりだ。 気がかりが多すぎると眉を顰め、目の前の女を見据えて、――こいつが誰かに似ていることに気が付いた。 『ね、ユウ。 僕が勝ったら――、一つだけしてもらいたいことがあるんだ。』 「ッ!」 酷いデジャヴだ。…眩暈さえ覚えるほどの。 「てめェを捕らえる。」 「……ふぅン?」 静かに告げると、女は目を丸くした後、嬉しそうにまた口端を吊り上げた。 *** 何故ここに来たかはわからない。身体が勝手にアクマをつけ走って動いていた。 追っていたはずのアクマはこの空間に着くと同時に、上空にものすごい勢いで飛び上がって――そのすぐ後に、炸裂音が響いていたから…自爆したのかもしれない。 そんな冷静な思考、オレはよくできたな。 ギリギリだった。 アクマが道案内のように通ってきた道は、この前気絶したときに見た夢のルートと何もかもが同じで。 (違うのは、) この空間で、オレの前にがいないことだけ。 目の前にあるのは、が立ちはだからないおかげで可視することができてしまった、 ひとつの、小さなお墓。 「――なんだよ これ」 だれだよ、こんな悪趣味なものを建てたのは。 ははは、と乾いた笑いが身体の奥から響いて止まらない。止まらない。止まらない。 頭が痛むとか、もうそんな次元じゃなくガタガタと身体が震えて、オレはついにガクンと膝を地につける。 墓に刻まれていた名前は…
――・。 |