――約40弱の国に分け隔てられたドイツ連邦。さらにそのうちの一つの小国の中の、とある領土。白髪の吸血鬼が治めていた侵食不可の地は、領主が姿を消してからというものの 雪が降り積もるより静かに世界からその存在を忘却されていった。
 忘却されようがその地はたしかに在る。 不老不死のエクソシストが治めた領土、トリスタン。

 今回 その領主の代わりに主の居ない土地を管理している一族であるレオンが持ちかけた相談は、どうやらイノセンスによる奇怪かアクマによる襲撃かは判別しがたいが、たしかにその領地の住民たちはその半数が“なんらかの原因”で精神をやられ、床に臥せったままついには死亡する者もちらほらと窺えるということだ。



「精神をやられる…というと?」
「はい。私が勝手ながら調査員を派遣した結果、被害者の過半数は一様にこう魘されているそうです」


ほの暗い司令室には、オイルの今にも切れそうなランプが灯っているのみだった。 室内にいるのは室長のコムイ、それと一般監査役、――今日は相談者という、レオンの二人だけだ。
 レオンの報告に眉根を寄せ、コムイは促すように頷く。


白い獅子に噛み殺されると」



 ぴくりと、コムイは微かだが反応を見せた。 レオンはその様子を探るように目を細めた後、
「この城にも、白い獅子≠ェ発生したことがありますね?」
と組んでいる足をゆっくりと組み替える。 鋭い眼光には決して厳しさは映らず、暖かく手持ちの資料に注がれていた。それは、愛すべきものを悼むような色。


「きみも見当は付いてるんだね…」



――白い獅子が発生して、教団の研究員を殺す。
もう随分と前になる。 使途を作る実験に平行して、一人のエクソシストのイノセンス復旧を目的とした実験が行われていた。 ある寄生型エクソシスト――のイノセンスが、人体とは接合されているものの完全に体外へと露出している状態が続いたことがあったのだ。
 寄生型のイノセンスは、加工のされていない原石。 つまり普通の人間はそのエクソシストに近寄るだけでも精神をやられ致命的な障害が脳に発生する。 そのため、この実験は通常時は彼女の父親、――エクソシストでもある研究員が行い、彼が不在の場合は特殊な機械()を通して行われた、と報告書には残されていた。


「時には彼女の救助を語った、惨いばかりの人体実験だと拝聴いたしました」
「…中々無いものだったんだろうね、寄生型エクソシストの身体がどこまで耐えられるか試せる機会なんて」


人体――もといイノセンスへの加圧や服毒を初めとしたさまざまな結果資料が、司令室の奥底に眠っていた。『寄生型イノセンス「小さな王(レグルス)」…人体の消耗に伴い適合反応の増幅、及び修復反応を確認。』 見れば見るほどに凄惨な履歴だったが、エクソシストは耐えた。 そして、今でも――まがい物の命と言う者もいるかもしれないが、生きている。


「この子……くんが…」
「…」
「こんな目に合った時からだよ。教団に白い獅子≠ェ現れ始めたのは」


 ぽつりとコムイが、瞳に悲しげな感情を浮かべ辛そうに呟く。
事実、今回のドイツで発生している奇怪と同じようにして、実験に携わった研究員はイノセンスに耐性のある者を除いて、一人残らず脳に致命をきたし死亡していた。


「やはり…そうでしたか。」
「でも彼女も彼女のイノセンスも、今は教団にあるんだ。 ドイツでその現象が起こるというのは、いささかおかしな話じゃないのかい?」
「起きているのだから仕方が無いでしょう、コムイ室長」


ふう、と困ったようにレオンは溜息を吐くと、ゆっくりとソファから立ち上がった。


「今あの地の住民はひどく神経が過敏になっているようです。今すぐに使者を向かわせても活動は難しいでしょう」
「…専門の者に掛け合ってもらいますよ。探索部隊の事前調査も難しそうだ」
「―――エクソシストは、さまを向かわせてください」


 コムイが早速、対外調整班へ向けた外交の緊急要請を作成していたところ、静かに窓を開けながらレオンが呟いた。 すでに外は夜だ。 満月の明かりが教団の森を照らし、散漫と木の葉を輝かせている。ざああ、と風が凪ぎ木の葉が鳴き、彼の髪もまた揺れる。


「白い獅子≠ェもし手駒なら、彼女の言うことしか聞かないでしょう」
「いやでも、あの子にはまだ一人で任地に行くような力は…」
「だからこそでありましょう!」
「!?」


 珍しく声を荒げたレオンにコムイは驚いたように彼の方へ視線を向けた――が、視認できたのはレオンではなく、一匹の金色の毛をつややかになびかせる狼だった。


「リアン様は弱い。嵐に襲い掛かられようものなら息絶えましょう」


そこでコムイは、少し前に彼にした話の内容を思い出した。千年伯爵の動向が掴めない今の状況が嵐の前の静けさのようだと――「そんなことでは、困るんですよ。」猛る爪を窓の桟に引っ掛けると、『彼』はジャッと荒々しい音を立てて外へと飛び込んでいった。



「(いい加減に目覚めよ、我らが小さな王=I)」





***





――ある朝ふと目を覚ましたら、窓の外に供花を抱く男の人を見た。
身体を起こそう・って右腕で体重を支えようと思ったんだけど、どうにもオレの右腕全体が包帯でぐるぐる巻きにされていて支えることも動くことも出来ない。 首元に違和感を覚えたのでそちらに左手を伸ばすと、そこもまた包帯がぐるぐると交差してひとつの固まりになっていた。
(…あれ?)
そういえばここは、どこだろう。 …ああ違う、知ってるじゃないか。
ここは、オレの家。


『おや、気付かれたか』


 いつからそこにいたのか、まるで置物のように静かに佇む老人が尋ねてきた。 突然のことにおれは当然びくりと跳ね上がる。 『あ…、』 驚きがあいまったこともあるのだろうが、それ以前に言葉を出そうとしてもなぜか音しか出ない。 喋れないと言うより、長く使っていなかった声帯も今のオレの心臓と同じくらいびっくりしているみたいだった。


『…失礼。私はブックマン。のことは生まれたときから知っている。』
『 おれは――、貴方のことを、知っていますか?』
『姫が…ちょうど8つの時、馬鹿弟子を連れてここを記録地としましたな』
『はぁ…』


米神に手をあてて目を瞑る。 ――だめだ、思い出せない。
そんなこちらの様子を老人の目が静かに探るのにおれは気付いていなかった。『誰が馬鹿だっ、パンダジジイー!』『誰がパンダだ』『ブッ』突然どこからか現れた鮮やかなオレンジの少年が、ブックマンの方へとつかつかと歩いていったがまたどこかへ吹っ飛んでいった。 (…強烈なビンタでも喰らったようだ。) あまりにも事態が一瞬のことすぎて、付いていきがたい。


『あ、あの…』
『姫が驚いておるだろうが!』
『 ええっ あ、ごめんさー!』


廊下の壁に打ち付けられたらしい少年は、頭にたんこぶを作りながらも猛スピードでベッドの横まで駆け寄ってくる。 『(懐かれてる…?)』尻尾があったら千切れんばかりに振っているであろう少年に若干身を引いて、笑いかけた。『痛そうだな』、と苦笑いした瞬間、少年の後頭部に水色の光が瞬いてあっという間に腫れが治まった。 あれ、と驚いていると、おれよりも少年の方が驚いたようで、唖然と彼は頭部を撫ぜる。 (…なんで勝手に、)(イノセンスが?) 首をかしげたおれを特に気にも留めぬ様子で、少年はありがと、と呟くと、おれの右手と首筋を順々に見てから『ほど痛くはなかったんよ』と控えめな笑顔を見せる。


『そやつも私も昔、姫に命を救われた身での』
『…おれに?』
『そうさ! 今回はに呼ばれて…『
そうだっ


突然大声をあげたことで室内の二人はびっくりしながらおれに注目した。『どこにいるの!?』ものすごい剣幕で少年に詰め寄ると今度は彼が身を引く番だった。『え、あ、えっと、』『兄上殿は、裏の森に向かわれたぞ』なんと言うべきか答えあぐねている少年の代わりに答えたのは、ブックマンだった。


『安静にしていなくて、よろしいのか?』
『…よくわからないけど…に会わなきゃいけない気がして、』


ベッドから降りると、歩くのも久しぶりなのか少しだけ足がもたついた。サイドに置いてあった靴を引っ掛けると小走りで部屋の外へ向かう。


『ずいぶん元気になったなー…紅い目も綺麗だけどオレは前の方が…、? ジジイ?』
『いや…リオネス殿のことも不思議だと思ったが、吸血鬼と言うものは…よくわからん』
『ジジイは頭が固いな。そんな難しいことじゃないって』
『?』
『女の子は不思議でできてるんさー!』
『…ふむ』




 裏の森はまるで迷路のようだった。 いくつも道があるのに、正解の一本を外れると行き止まりか獣道で、その正解の道を知らないおれはどこにがいるのかわからない筈なのに、何故か きっと彼のところにたどり着けるという当ても無い確信があった。 ( 暖かい気配がするんだ。)きっとあっちにいる。 それだけ信じて走ってきた道は、虚しいことに行き止まりだった。


『うそ』


崖のように切り立った大きな岸壁が目の前に聳えている。
思わず地に膝を付きそうになったけど、なんとか持ちこたえてから それならさっきとは違う道、と踵を返したあともう一度振り向いた。『…?』 いや、おれは信じたんだ。こっちにいるはずなんだ、は。 一歩、二歩と岸壁に近づき、触れる。 岸壁が金色の粒子に姿を変え、触れた部分からぼろぼろと崩れていった。

一本道が現れる。

――のイノセンスだ。 なんで、何か隠すものでもあったのだろうか? とりあえずは、彼がこちらにいるという確信は深まったものの、新たにそんな疑問が生まれた。


『………?』
『!』



細い声が一本道の先から聞こえると、栗色の髪を風に遊ばせながらがこちらへと向かっていた。 目元が少しだけ赤い。 ――やっぱり居た。 『ッ!』たたっ、と足音軽く彼の元へと近づき、自然と輝く眼差しでの顔を覗き込んだ。 『よくここまで来れたね』『うん、少し迷ったけど――』無感動なほほえみに違和感を覚えつつも、はにかんでそう答えると、がすっと右手を上げた。


パシンッ



次の瞬間、小気味良く森に響いたのは、がオレの頬を叩いた音で。



『………どうして来たのっ…』


―――次に見えたものは、彼の涙で。




***





「おい、! おい、」
「……? んあ?」



 振動が脳に響いて瞼を持ち上げると、見えたのは灰色の天井と黒色の髪と、焦ったようにオレの目を見ている神田だった。「…神田? どうし ッ いって…!」「っ、おい?」彼の肩に手を添えてどうにか上体を起こしたが、その反動かとつぜん後頭部が痛みだした。(い、いったい何が…!)ずきんずきんと熱が疼くそこに、先ほどの世界とは違って自由な右手を持っていくと たんこぶ的なものがふんぞり返っていることがわかる。

「…あー、」

そっか。 そういえば、看る患者が一時的に途切れたからって、くんにわがまま言って医療班を抜け出してきたんだった。 何のため? そう、鍛錬のために。 神田がちょうど班長室の前に居たから、付き合ってもらったんだ。 それで暫く剣の相手でも、とか無謀な挑戦をしてたらしばらくはちゃんと鍔迫り合いもできてたんだけど、とある一瞬で神田に吹っ飛ばされて、そのまま勢いで壁に頭を打ち付けた――ってとこだったかな。 労わるようにたんこぶを撫ぜると、神田がオレの右手ごとそこに手を添えてから やっと落ち着いたとでも言うように息をつく。


「なに、何分トんでたのオレ」
「知るか。 せいぜい3分か4分だろ」
「なっが! 180秒か240秒もムダにしてんじゃん」
「…阿呆女」
「 神田?」


 彼の目に突然疲れの色に酷似したものが浮いたかと思うと、ゆっくりとオレの背中に手を当てて引き寄せてくる。 「…どうしたの」 肩に埋まる彼の顔に問いかけたが、訴えてくるものは暖かい体温以外のなにものも有りはしなかった。「240秒も目を覚まさなかったから、びっくりしたのか?」いつもならずいぶんとあるはずの体格差は、血を飲んでいないせいで大きくなった身体のおかげかほとんど神田と変わりはしない。 今はその方が楽でありがたかったな、と皮肉にも感謝しながら彼の背中をぽんぽんと叩く。



「…殺したかと思った。」
「生きてるよ。 夢を見てたから、きっと遅くなったんだ」
「なんの」
「 そうだなー、神田がオレに負けて、跪いてごめんなさいって泣き縋ってる的な」
「怒らせたいのか?」
「あはっ」


束ねられたまとまりの良い髪をひとしきり指先でいじくったあと、やることが特に無くなった両手で神田の身体をぎゅうぅっと抱きしめる。 先ほどの鍛錬でかいたらしい汗の匂いが、どうしようもなく愛しくてたまらない。


「…神田さー……」
「…何だ」


話しかけると短い返事だけ返ってきた。


「泣いたこと ある?」
「  無ェよ」
「プッ ははっ、嘘つけ」


 ムッとしたように今まで埋めていた顔を上げた神田は、じろりと暫時はオレを睨みつけていたが、やがては笑い出したオレに呆れたのかつられたのかは判断しかねるが、少しだけ目元を優しげに緩めた。


「でもさ、大丈夫だよ」


そう自信気に呟いて、オレは神田の頬に両手を添えて引き寄せる。 黒曜石の瞳を見つめてにっと笑うと、 彼はすこし訝しげな表情になる。 オレはまたそれに、笑う。



「次からは哀しいことがあっても そのあとはちゃーんと、オレが笑わせてやるからな!」





狼男のご主人様は吸血鬼、吸血鬼のご主人様は人間。