! っ!』



――眠りについたのは、太陽が昇って、少し経ったころだったと思う。
 ほとんど昼寝に近いなと苦笑交じりの溜息を吐いたことを覚えている。 その原因の、4日前に珍しく、本当に珍しく俺の属する医療班の班長が任務に駆り出されたこともだ。



『起きなよぉー!!』



 耳元で癖のある、少女特有の高い声が聞こえている。 昔、嫌になるくらい耳にした声質だった。 『!』 うるさい、寝かせてくれ、俺は眠いんだ。 むっとした声色で少女――いや、仕えている主と呼んだ方が良いのだろうか――は、依然 俺の名前を叫び続ける。 夢なら無視するのがいい。 相手にしていては寝覚めを損ねるだけだ。 …いつものように。


『聞いてるの?』
「…」
『起きろ』


 その吐き捨てるような言葉は痺れを切らした少女の、明らかな命令だった。 心の中で舌打ちをすると、瞼に覆い隠され、黒しか見えなかった世界を切り広げる。 目を開けても辺りが黒いのは―、恐らくここが夢の中だから、なのだろう。
 ただし、俺の夢ではない。 よくよく周囲を見回せば、雑多な玩具やプレゼント箱、キャンディー、そして色とりどりの蝋燭に照らされ不気味に微笑むぬいぐるみの数々があった。 そう、これは、俺の体を跨ぐようにして立ち、こちらの様子を楽しそうに観察している主、――ロード・キャメロット様の夢の中、だ。


『あは、起きたぁ』
「…起きなかったらまた、どうするつもりだったんです?、あなたは」
『別にぃー』


 主はごまかすような笑顔でくるくる辺りを回り始めると、カラン、と音を響かせひとつの杭を地面に放り投げた。 (起きなかったら腹にでも刺すつもりだったのか?)危ないな。


『相変わらず寝顔だけは子供みたいでかわいーよねぇ』
「ご用件は」
『…短気になった? 眉間に皺寄ってるよぉー』
「 、いらないお世話です」
『えい』


 徐に俺の膝の上へ腰を下ろすと、彼女は小さな指でぐりぐりと俺の眉根を解すように回し始める。 暫時その行動に甘んじていたが、段々と鬱陶しくなってくるのは当然のことで、俺はふいと顔を逸ら――そうとしたが それは叶わず、少しだけ顔を傾けた先に そんな俺の行動を読んでいたとでも言いたげな手のひらが待ち構えていた。 頬を押され顔の向きをくいっと正される。 主のもう一方の手も俺の頬へ添えられると、すっ と、ゆっくりとも素早くとも取れない動作で幼い顔が近づいてきた。 唇が触れ合ったのも数秒で、主の顔は不満気に離れていった。 俺の無表情が気に食わなかったのだろうなと思う。 (そういえば昔は、こんな反応のひとつでひとつで 彼女のご機嫌を窺いたてていたような気さえもする。) 昔の話だ。


『怖がらないの?』
「もう怖くありませんから」
『昔は可愛かったのにねぇ』
「…殺されるかと思ってました」
『 ――殺さないよぉ。 せっかく面白い玩具を手に入れたのに、手放すはず無いでしょぉ?』


 くすくすとおかしそうに身体を揺らすと、主は俺の背中に手を回す。 主の夢の中では基本的に、この少女の本体は目の前の人型では無い筈なのだが―、おかしい。 触れる体温は明らかに人間のそれだった。 無機質なものでもなければ、異形の吸血鬼などの冷たいそれでもない。 『信じてるから』 主はそう言うと、俺の胸に頬を押し付けた。やはり暖かい。


「―…もう一度お尋ねします、主。」
『かったいなぁー。 ロードでいいよ』
「 …畏まりました、ロード。  用件は」
『確認に来ただけぇー』
「確認…というと?」


 背中に回された指が何かの文字を書くかのように踊った。 「最近報告≠フ頻度が減ってるって、千年公がオカンムリだよぉ?」 一瞬、心臓が止まった心地に陥る。
 報告。
なんのと言われれば、黒の教団の機密情報の、としか言いようが無い。
 もともと自分は日本の生まれで、幸か不幸か江戸のとある華族の元に生を受けた。 それが妙な胡散臭い家なのだ。 教団のサポーターとして、こそこそと息を殺すように世間から身を隠し生き繋いでいる一族。 それが我が家の表の顔だった。 裏は言わずもがな、この状況を見ればわかるだろう。 ――日本は、千年伯爵に侵されている。 俺の顔も見たことも無い祖先は、売ったのだ、千年公へ自分の一族を、それも未来永劫の契約で。 協力を惜しまずアクマの調整を手伝い、必要とあらばブローカーまがいの悲劇作りだってする。 ――俺は、昔 千年公に褒められたことがある。 「キミは良い死体を作りますネv」と。 そうやって頭を撫でられた記憶は、…わかるだろ?、よもや不快なものでしかない。


「…年に一度で、…必要な報告は、しているはずですが」


 言葉選びが自然と慎重になっていた。
 ――都合が良い、と罵られるだろうが、もう 少しだけ忘れていたのだ、昔のことは。
 俺が14になりたての頃 家にやってきた教団からの使者は、今は亡き。 の兄だ。 「ここに俺のやりたいことはない」「逃げてしまいたい」、悲痛な表情で訴えかけると、彼は戸惑いつつも俺の手を引き教団へ連れて行ってくれた。そう、経歴や出身の詐称までして。 ――それがこちらの策略だとも知らずに。 いや、もしかしたら気付いていたのかもしれないな。 死んでしまった今となっては確認のしようも無いが、「ここに俺のやりたいことはない」「逃げてしまいたい」、という言葉に、少なくとも嘘は無かった。
 だってあそこに俺のやりたいことは無かったし、大勢の人を殺して哀しみまみれの殺戮兵器を仕立て上げることにも吐き気を感じていたからだ。 逆らえば排除されるあんな家、逃げたくて逃げたくて仕方が無かった。



『…ふふ、そっかぁ。 ならいいよ、それで』



 主はまたしてもくすくすと身体を揺らす。 俺は嘘を吐いていない。



、信じてるから』
「…ノアが人間を信じるなんて、酔狂としか言いようが無いですね」
『ふふ。 人間は嫌いだけど、は好きぃー』



 ぐい、と首筋を引き寄せられ唇に口付けが触れる。 昔は対応の仕様に困っていたそれも、今では何も感じない。 ――ひそりとした沈黙に、教団の人々の笑顔が、1人2人と脳裏に浮かんでくるせいだ。 (俺はもう、半分以上こちら側に持っていかれてるんです)(気づいているでしょう? 主)。
 口付けが離れて、悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべる主を見納めると、視界が白くフェードアウトしていく感覚を覚える。 どうやら開放してくれるらしかった。



『愛してるよ。 僕の可愛いかわいい、。』



 囁くような声が最後に零れ落ちてきたのを、残念ながら俺の耳は拾ってしまっていた。







***





さん!」
「…おー……、ダグ」
「元気無いですね? また寝てないんですか」
「いや、寝た。 寝過ぎた。 休憩時間を突き破ってみんなに迷惑かけるほどな」
「 珍しい。 疲れてるでしょ、目が死んでますよ?」


 放っといてくれ、それはいつもだぞ、悪いが。
 そんな横槍を頭の中で加えつつ、は探索班員であるダグに苦笑を向けた。 ダグは白いコートを身に纏いいかにもこれから任務ですと言わんばかりの引き締まった表情をしていた、―のはつい先程までで、今ではすっかり主人を前に尻尾を振る犬のような目でを見ている。 懐いているのだ、ダグはに。 黒髪同士で並んで立ってると 歳の離れた兄弟みたいですね、とダグの亡き上司に茶々を入れられたことさえある。 今では少し懐かしい記憶だ。 人知れずは一瞬だけ目を細めた。



「で? どうしたんだまた、お前こそ珍しいじゃないか」
「あ、いえ。 水路までの通り道に、ってコムイ室長に書類を頼まれただけなんです」
「そうか」



 彼らは療養室の扉の前で話をしていた。 ダグがこれから任務だから長居をしないように、というのもあるのだろうが、それ以前の問題に、ダグはあまりここに近寄ろうとしない。 当初 医者というのが苦手なのだろうかとは考えたこともあったが、違った。 ほら、考えている傍からダグは何かを警戒するかのようにきょろきょろと辺りを見回し始める。 大きな目が警戒の色を表すのは、見ていてなんだか小さな番犬のような錯覚に陥り微笑まざるを禁じえない。



「…今日は班長居ないぞ、安心しろ」
「 べっ、別にあの人のことなんか、…あ。お昼に連絡が来ていました、今日の夜には着くそうです」
「そっか。 お前も気をつけろよ、…今度はどこだ?」
「ノルウェーの小さな町です。」
「また寒いとこだな、そりゃ」
「変な木があるらしいんです。 どんな病気も治す金色の葉がなるそうで…」
「へぇ、医者いらずじゃないか。うちに欲しいくらいだ」


 わざとらしく真面目な顔で関心を示したに、ダグは「何言ってるんですか」とおかしそうに笑う。 そんな彼の様子には返事の代わりに一笑すると、ダグの黒髪に手を乗せた。


「…まぁ、風邪引かないように気をつけてな」
「ええ、さんに迷惑はかけませんから、安心してください。」


 おどけるようにダグはに懐っこい笑みを見せ、「じゃあ、行ってきます」と丁寧にお辞儀をして水路に向かっていった。


「(…ノルウェーにイノセンス、か)」


 ――ほら。
ここまで教団という場に自分を信じ込ませてしまえば、情報を得るのはこんなに簡単だ。 恐らく今更俺を疑っている輩なんて殆どの割合でいないに違いない。「(何より)」少数の意見は多数に押し潰される末路にあるからな。 その少数の輩がわめいてもそんなに気にすることも無いだろうと彼は考える。



ー!!!』



 室内から誰かの遠い声が聞こえる。
アンジェラと黒い無線ゴーレムがぱたぱたと羽音を立ての方へ近づいてきた。



「…リーバー?」
『大変なんだ! すぐ…っ、あ、いや、そっち片付いたらでいい、来てくれ!』




***





「どうしたリーバー!!?」


 リナリーが給湯室へ足を踏み入れたのと、科学室の入り口を凄まじい剣幕でが叩き開けたのはほぼ同刻のことだ。
 療養室から科学室までの距離を全力ダッシュでもしてきたのかは定かではないが、の息は少々弾んでいて、突然の同僚からの呼び出しに対してその表情には困惑と焦りが広がっている。「 、! 」 書類の山に埋もれるようにして数式を確認していたリーバーは、そんなの声に今更ながらに気が付いたように立ち上がった。 リーバーの様子に科学班員の一部が――こちらも今更ながらに、だが――ワッと湧き上がり始める。



「すげぇ本当に来てくれた!」
「え、?」
「助かった戦力増えた…うっ…」

「…なんだ? 何がどうなってるんだリーバー?」
「ああ。 実は室長が失踪中でな」
「 ええと…探して捕まえてこいって?」
「いや。 お前に手伝ってもらおうと思ったんだ。 ほら、寝なくても平気だろ?
「 お前なぁ!、俺を何だと…、」
「仕事中毒者」
「・・・。」
「ワーカホリック」
二度も言うなよ



 を指差し真顔で淡々と述べるリーバーの手をぱしっと払うと、 「というか、」わざとらしく溜息を吐きは眉間に皺を寄せ辺りを見渡した。 ジョニーとタップがハイタッチをローテンションで交わしているのを一瞥してから、またリーバーに視点を戻す。 「そんなに助け…必要なのか?」 別に手伝うけどさ、そうも呟くとリーバーは「悪いな」と一声断ってから親指で背後を指差した。 なんなんだとがそちらを注視すると、幾人かの班員が過労死寸前の様子で椅子に腰掛けている。 ――いや、腰掛けているというよりがっくり凭れている、の方が正しいかな、とは考えた。



「終わらねェ…、このまま一生終わらねェんじゃねェかな…」
「オレ…このまま眠れんなら一生目覚めなくていいや へへへ…」
「 転職…しよう かな」



 その声といったらもう死に際の虫の息だ。まさに鬼哭啾々。 これにはさすがのも引きつり笑いを浮かべた。



「…、…な?」
「手伝う。 手伝わせてくれ。 ああそうとも過労死者が出る前に手伝わせてくれ…っ!」



***



「コーヒー飲む人ー?」


 死にかけの科学班内に、天からの一声とばかりにリナリーのソプラノが響いた。 周囲の「はーい」「俺にも」などというやつれた声の数々にが苦笑いしていると、ふっと書類に影が落ちた。 その仄暗い影に顔を上げると笑顔のリナリーが「はい」、とカップを差し出していた。



はお茶でよかった?」
「 気が利くね。 ありがとう」
「…今日も隈すごいのね。 台無し」
「(台無しってお前)せめて『いつも通り』で留めようリナリー。 ところでそれは?」



 リナリーが両手で掴んでいるトレイにはまだ一つのカップが残っていた。 配りに行かなくていいのかと首を傾げて案じるに、リナリーはくすくすとおかしそうに笑って「これは兄さんのだからいいのよ」と返す。 背後で何かの機械が起動する音がして、はなんとなしに彼女の『兄さん』とやらを思い浮かべた。 心なしかガションガション、なんていう何か大きなロボが駆動しはじめた音も聞こえてきたのに何か嫌な予感でも感じたのか、彼はリナリーに静かに問いかけ始める。


「あ、ああ…。 そういえば室長はどこに「おーい! みんな起きてるー?」



 バァン!と盛大な音を立て場違いなテンションで科学室へ歩を進めたのは我らが黒の教団の室長コムイ・リーだ。


「見て!見て!!」


噂をすれば何とやらね、リナリーの呟いた言葉には失笑を送ると扉の方へ目を向け――、そして見開いた。 恐らく室内の人間ほとんどがそのような形相をしているだろう。



「ジャーン♪ 我が科学班の救世主こと 『コムリンU』 でーす!!」



 コムリンU―――そう名を高らかに宣言されたロボットは、ピロリロリロリ、という何やら機械的な音を返事のように立て赤いセンサーをとリナリーの方に光らせた。その様子に「ん?どうしたんだいコムリン」とまるで自分の子供のように呼びかけそのセンサーを辿ると――驚くべきスピードでとリナリーの間に割って入った。



「はい 離れて離れて! くんはリナリーの半径1m内に近づいちゃ駄目だよっ!」
「何言ってるのよ兄さんたら もう」
「ダメだよリナリー! くんは手が早いって有名なんだからねボクのリナリーに何かあったらお兄ちゃんどうすれば…!」
「待っ… いつ有名になりましたそんな話」
「つっかかるなつっかかるな」



 いやに真面目な顔でリナリーの身を心配し始めたコムイはもう周りの様子など見えていないようだ。 リーバーにどうどうと襟首を引き戻され、は一旦「う」と息を止める。 その隙にリーバーはこの場をどうにかせねばと声を上げた。



「室長、何スかその無駄にごっついロボは…」
「よくぞ聞いてくれましたリーバー班長!」



 パッとコムイはリーバーの方を振り返る。 がなんとなしにリナリーに目を向けると、彼女は実の兄のその変わり身の早さに苦笑いしているようだった。 それは班員も同じだ。 しかし室長の作ったコムリンUとやらの性能については気になるのか、あたりは興味津々な面持ちでその巨大な姿を観察している。



「ボクの頭脳と人格を完全にコピーした、イノセンス開発専用の万能ロボットさ♪
 あらゆる資料の解析はもちろん、対アクマ武器の修理、適合者のケアサポートも行うんだ」


 おお、という戸惑いつつだが賞賛の声が辺りから上がる。 それに気を良くしたのかコムイは「あ、てっぺんの帽子はチャームポイントだからね!」などといらんことまで説明してくれた。



「まさにもうひとりのボク!! これで仕事がラクになるぞーーー!!!」
「し…」
「しっ…」
「「「「室長ぉーー!!!!」」」」
「うんうん ボクってスゴイよね」



 班員がコムイに抱きつく様子を呆れながら傍観している者が2名。 リナリーとだ。 抱きつく代わりに呆れ笑いで拍手を送っているの後ろで、同じく呆れ笑いだった筈のリナリーが「あ」と驚嘆を掲げた。



「どうした?」
「ううん…、兄さん」
「なんだいリナリー? リナリーもボクの胸に飛び込んでおい「そんなことより コムリンってコーヒー飲むの?」



 有頂天になったコムイの言葉をピシャリと跳ね除けリナリーは言った。 その彼女の発言にあたりに再び静寂が戻ってくる。 思わずとリーバーは顔を見合わせた。



「何言ってるんだリナリー いくらボクにそっくりだといっても、コムリンはロボットだよ?
 コーヒーは・・・・・・・・・・・・、」


 そこでコムイも周囲より少しばかり遅れて、はたと静まり返る。 室内の全員が隣人と目を見合わせていた。



「飲んだの…?」



ドン!



 コムイの言葉が引き金にでもなったかのように、コムリンのヘッド部分が不穏な爆音を立てた。 白い煙が出ている。
 ――ヒュッ
唖然としているの頬に注射器が掠めた。 しかし刺さったのは別の人物のようだ。 どさり、という何かの崩れ落ちる音を耳にして彼はばっと横を向いた。


「リナリー!?」



 キャー!というコムイの絶叫を尻目にはリナリーを抱き起こす。 『私…は…コム…リン』 機械的な声が聞こえ、反射的にそちらを振り向く。 明らかに先ほどと様子の違うコムリンUがそこにはいた。「(壊れた!)(そういやそうだ前作も何かで壊れたんじゃなかったか)」


『エクソシスト強く…する…、この女…はエクソ…シスト』


 そこで一旦言葉を止めると、彼(?)はキランとセンサー部分を目のように光らせその大きな図体をガシャリと奮わせた。



『この女をマッチョに改良手術すべし!!』
「「「「なにィーーーーー!!!!?」」」」