「はっ…、はあ、は、くそ、もう一度だ!」
「ちょ、ユウ もうギブ! 俺そろそろ準備しないと汽車が…」
「うるせェ俺が勝つまで付き合うって約束だろ!!!」
「(勝つまでって!!) え、ちょっそれは…!?」


 例年より底冷えのする、雪の降った夕刻だっただろうか、これは。
最期の日だった。 最期。 ――何の、と問われたら俺はこう答えることしか出来ないだろう。『を視た最期の日だ』、としか。 そうだ、あいつは医療班の仕事も任務の報告書も全てを終わらせた、なんていつも以上に にこにこと愛想を振りまいてきたから、刀の相手でもしてもらおうと鍛錬場へ引き摺って行ったのだった。
 約束も何もしては居ないが、目の前の男は丁寧にその言葉に狼狽までして見せてくれた。 のその様子に拍車をかけるかのように、じろりとその鮮やかな空色の瞳を睨んでやる。「〜〜っわかったよッ!」まったくもー強情なんだから!、はそう溜息を吐くと、一度は形状を元に戻したイノセンスを掲げ、再度 細身の剣を造形して見せた。


「これで終わりだからね!」
「…。 わかってる」
「(うわあすごい不満気)そうだ。 ね、ユウ。 ただで稽古付けてんだからさ、ちょっと賭けようよ」
「 賭け?」
「うん。 俺が勝ったら――、一つだけしてもらいたいことがあるんだ。」
「はっ、俺が勝ったらどうすんだよ?」
「…そうだね。 うん、なんかしてあげる」
「なんかって何だ」
「えー…っと? ごめん考えてない」


 そう眉を寄せて微笑むと、は珍しく右手に持った細身の刀身を、正眼の位置で構える。 「(…勝つ気、)(満々なんじゃねェか)」 いつものこいつのスタイルは、やる気なさげにぶらりと剣を降ろしているはずだ。「チッ」 そんな奴にも負け越しだというのだから、悔しくて堪らない。 「よし、」 きらりと黒く光った切っ先の向こうで、いつもは優しさで溶けている空色の瞳が、何の感情も無く俺を見据えている事に気が付く。それと同時に背中に伝ったものは、紛れも無く自分の冷や汗。


「どっからでも来い。」


凛と響いた声に、いつでも一つ、逸り立つ事と不安に思う事がある。
 ああ、 いつかこの男に勝てる時が来たら。
 そして、この男に勝てる時など本当に訪れるのか、と。




***



ガキンッツ


「…っ!!!」



 ――勝敗はものの一瞬で決まった。
鍔迫り合いすらも無く、力で向かって行った刃をは水のように受け流し 空いた片手で俺を軽々と張り倒した。 ひゅっ、と喉が鳴る。酸素が足りない。 腹の上には彼の片膝がやんわりと乗っかっていた。 ああ道理で。 上にいる男の所為でランプを灯しているというのに、俺の顔にかかるのは明かりではなく薄暗い影のみだ。 「…どけよ…っ」 整ってきた息でそう言うと、は ああ、と気がついた様に身体を起こす。
 首の横に刺さっていた剣が鈍い音を立てて抜かれて行った。 くそ、と思う。 勝っても負けても 今日は此処までだと約束を立ててしまった。


「おい、」
「 ん?」
「約束だったろ。 なんだよ、何させるつもりだ、俺に」
「…ユウ」


 頭をがりがりと掻き溜息を吐くと、はすまなそうに、控えめに微笑んで 俺と目線を合わすように屈みこむ。 そっ、と男にしては華奢な掌が俺の髪を優しく撫でた。


「これから俺、ドイツに戻ってを連れてくる」
「! …お前、あんなに、・・・嫌がってたんじゃ、」


 嫌だったんじゃ、無いのか。 あの病弱な妹を、戦場に連れ込む事が。

そう続けようとすると、は俺の言おうとした事を閉ざすようにぽんぽんと頭を撫でる。 ちらりと覗きこんだ瞳は、いつもと同じ色を灯しているのに そこから読み取れる真意は一欠片も無かった。


「ここからがお願い。」
「・・・?」
「――もし俺が、ドイツから帰ってこなかったら」


を、護ってあげてほしい。」



 真摯な表情に、息を呑む。 今こいつは何と言った。 「帰ってこなかったら」?
はもう10年以上も教団に居ると聞いた事がある。 今のこいつの言葉通りに、彼の故郷はもはや教団、と言っても良いだろう。 だからは、生まれた国であるドイツへ『戻る』と言った。 そして、こうとも言ったのだ。 ドイツから『帰ってこなかったら』。 つまり、を連れて教団に帰ってこなかったら、俺にあの妹を護ってあげて欲しい、と。
 何かがおかしいな、と俺は思う。 帰ってこなかったらということは、ドイツで何か 教団に辿り着けなくなるくらいの事が起こるということだ。
(つまり、死ぬってか)
何故今、そんなことをそんな真剣な表情で言うんだ、馬鹿。 ふざけるな、と思った。「っ…なら、」 微かに震える声を腹の底から搾り出した。 そうでもしないと、声が出てこない気さえした。


「俺はそんな命令、聞くこと、無いな」
「・・・え」
「お前より強い奴なんていない、」
「 ユウ…?」
「お前は、死なない! …お前は、帰って来るんだ、…絶対に。」
「 、そうだね、俺は、…そうだ、」
「…!」
「帰ってきて、きみが勝つまで 稽古を付けなきゃいけないんだった。」



 ――は、そう儚げに微笑うと、




…微笑うと?









「………、っ!?」


 ちかっ、と眩しいくらいの陽光が瞼越しに網膜を焼き、今が昼であるという事を教える。 むくりと寝転んでいた身体を起き上がらせ、辺りを見渡す。 ご丁寧にも少し暑いくらいの温度が、今は冬でも12月でも無い 夏の中頃だと俺に諭していた。
ああ、夢か。
はあ、と溜息を吐く。 もう5年も前になるのか、あれは。「(今 思うと、)」あいつ、千里眼でも持っていたんじゃないかと思う。 最後の最後で気味の悪いことしやがって。 それにしても、あいつの頼みは正真正銘の遺言となったわけだ。
 5年前―、13の時なんて、まだ信じる事と虚勢を張る事程度しか知らなかった気がするな。『お前より強い奴はいない』、『お前は死なない』。 幼心にあの男を慕っていた事は覚えている。 本気のあいつに勝つことが、その頃の目標だった。 なら、


「(今の俺なら)(勝てるのだろうか)」


に。


暫時考えて、片手で頭を抑えた。 ――ありえない、ああ、馬鹿な事を考えているんじゃない。 あいつはもう、死んだ。 居ないのだ。 その事実をぼんやり頭に置き、チッ、と溜息の様な舌打ちを一人静かに零す。「(だから嫌いなんだ、)」 口にしたことを守らない奴は。

そしてまたしても暫時、その姿勢のまま佇んで、あることに気が付いた。


「………、どこ行った…」



 に託された、腕の中の小さな温もりが消えている事に。





***




「っつ、疲れた…!」



 額に微かに滲んだ汗をぐい、と拭い、膝に手を置き荒い息を隠す事もせず開放してやる。
――南イタリア、地中海に面したこの都市は、太陽さえ昇ってしまえばごくごく普通…という訳でもないが、人が居れば子供も居るし、小さな出店もあったりした。 脇に抱えた小さな麻袋には、さっき通りかかった路地のおばさんに勧められた真っ赤な林檎が数個入っている。
 医院を出た時は朝だったのだが、トマに聞いたアレンが居る場所へと続く階段がこれまた厄介。 終わりが見えずに悪戦苦闘、気がつけば今はもう昼だ。 太陽が呆れたように南中しへたれたオレを情けない、と見下ろしているようにさえ感じられる。(く、くそが!) 自分で考えた事に苛立ちを覚えたので精一杯の気力を振り絞り また一段、と階段を上っていく。 …神田も、そろそろ起きた頃だろうか。 トマに行く場所も伝えておいたし、まあ平気だろと気を取り直しまた一段。
(すごいな…、悔しいな、なんか。)
アレンもトマも神田も、こんな所を夜通し走り回っていたのか。


『 ねえ、強くなりたいって、願ったでしょう?』
「…ッ!!」



 無意識のうちに昨日の少女の声を思い出し、ぶんぶんと頭を振る。 あの子は本当に何だったんだろう。
 いつの間にか俯いていた顔を勢いよく上げる。 と、永遠に続くかと思っていた階段の頂上が、もうすぐそこにあることがわかる。「(ゴ、)(ゴール発見…!)」 そしてそのゴールには、一人の少年が膝を抱えて座り込んでいる事にもほぼ同時に気が付いた。 アレンだ。


「(…、)」


 随分沈んでるな。 首を傾げ、麻袋から林檎を取り出しアレン目掛けて投げた。 オレは、情けなくも気絶していた所為で、今回の任務の顛末はトマの口からしか知らされていない。


「っ… 、」投げられた林檎を片手で受け取ると、アレンはオレを見て予想外の人物が現れたとでも言いそうなくらいに目を見開き、「何するんですか、いきなり」とだけ不満げに言った。


「いや、お前の事だから腹減ってるんじゃないかと思ったんだけど…、」


 首を傾げて苦笑いをし、階段を上りきる。 アレンの隣にすとんと腰を下ろし、彼の顔をひょい、と覗き込んだ。 「割と平気そうだな?」「…、」  彼はオレの目をちらりと見た後、ふいとそっぽを向いてしまう。 「あら」 思わず声を漏らした後、頬をかりかりと掻いた。 ――どうやら平気では無いらしい。
 アレンの横顔をじっと眺めていると、あ、と一つの部分に目が行く。 そんなオレに気が付きもせず、彼はぼんやりと宙ではたはた飛び回っている金色のゴーレムを眺めていた。


「約束は、守れたか?」


 ポツリと、ティムキャンピーに目を遣りながら呟くと、視界の端でアレンが驚いたようにこちらを向いたのに気が付いた。 気負っているのは、やはり此処か。 似ているな、と心の隅で考える。 アレンは少し、あの人に似ている。


「…どうなんでしょう。」
「?」
「判らないんです、あの人形はララなのか、ララじゃないのか。」
「…そんなの、悩んでも答えでないだろ」
「・・・」
「そんなの、ララとグゾルにしか解らないよ」


 オレがそう呟くと、辺りにはゴーレムの羽音しか響かなくなる。 静かだ。 後ろに聳える古代都市の入り口の、更に奥からララの子守唄が風に乗って微かに聞こえて来た。 ――本当に静かだ。 ふと、隣のアレンが唇を噛み締めていることに気が付く。 まるで小さな子供が、泣くのを我慢するかのように。


「――お前は間違った事してないよ。 絶対。 オレが保証してやる。」


アレンは黙っている。 彼の目元が微かに赤いことに気が付き、眉を下げながら立ち上がった。 階段を一段下り、アレンの目の前へと踏み出す。 と、何事だと顔を上げた彼の目元に指先を這わせる。


「不思議だよな、」
「なん…、です、か」
「涙ってさ、透明で、しかもイメージ的には青の方が強いのに、なんでだろうな。」
「…?」
「我慢すると、なんで赤くなるんだろ」


そこまで喋ると、アレンの頭をぽんとひとつ撫でた。 色の抜けた白が目に眩しい。 「…、  」 彼の目元で、微かに滲み出た水滴を指先で掬い取っていると  アレンの骨張った手ががしりとそれを静止した。 ぐ、と腰に圧力を感じ、オレはぐぇ、とひとつ呻く。 下を向くと、アレンの顔がオレの腹部に沈んで居るのがよく見えた。 「…泣き虫め」「 泣いて、なんかっ…無いです」「そうか」 大人びてるけど、紳士みたいに振舞ってはいるけど、そう言えばこいつまだ、15歳なんだな。 神様って残酷だ。こんな子供にまで生と死とか、アイデンティティの喪失とか、そんな人生の岐路みたいな問題を軽々しく提起してくる。 ――はたと、そんな思考が浮上した。


は、辛くないんですか」
「え?」
「こういうの」


 突然そんな質問を、くぐもった声がしてくる。


「オレは―――哀しいと思ったこと、無い。順応性が高いからかな」
「じゅんのう、せい?」
「環境や境遇の変化に従って性質や行動がそれに合うように変わること。 、つまり」


 辞書を丸写しにしたような説明で早口に捲くし立てる。「まともなままでいる為に、辛いとかそう言うのどっかで置いてきちゃったんだろうな、」 そこで区切った途端、自分の発言に違和感があることを感じ取る。 「いや…、辛くないってことは、もうまともじゃないのか」「どっちなんですか、結局…」見かねたようにアレンが突っ込みを入れてくる。 ああ、なんだか神様並みの返答をしてしまった気がするぞ。 アレンがこちらを見ているわけでも無いのに、思わず苦笑いをしてしまった。 どっちなんだろうな。


「神田なら多分、任務だ、で切り捨てるだろうけど…、 皆どっかで割り切ってるかな。」
「…そういうもんですか」
「 いや、」逆接の語句に、アレンの顔がゆっくりとオレを仰ぐ。「一人居たな。 昔から代わらず、全部バカ正直に受け止めるエクソシストも」 「…


 呼ばれた名に、アレンの目をゆっくりと見つめると、彼の目がスッと細められる。 「哀しそうな、顔をしてますよ」「…知らないよ、そんなの」教団に来たあの時から、楽しいことや嫌なことはたくさんあったけど、オレは哀しい≠ネんて感情を抱いたことは一度も無かった。 仲間の棺の前で泣き崩れる探索部隊たちの、涙の意図が理解できた試しもない。


「不思議ですね、涙って。」


 アレンがそんなことを言ったということは、先ほどの会話の流れから汲んで行くと、オレの目元がきっと赤くなっているからなんだろう。 頬に流れる冷たい感覚と、胸の奥でじわじわと冷え痛む謎の心地を覚えた。腹の中に鉛が溜まっているような、そんな重ささえも感じる。 何かオレは、おかしな病気にでもかかったのだろうか?


「知らないよ、こんなの…」


困惑したように呟くと、頬を伝っていたものがぽたりとアレンの顔に落ちていった。 目尻から流れるそれは止め処なくて、ぽたぽたと顔への降雨を受けていたアレンは数秒あっけに取られた後、慌てたようにオレの目元をぬぐいはじめる。「す、っすみません!そんな、泣かせるつもりじゃ、」オレだってびっくりだ、泣くつもりなんかなかった。 泣いたことなんて、今までなかったのに。
 困ったように涙をぬぐい続けるアレンを見て、そういえばと思考が浮かんだ。



――あの変な夢も、謎の少女も、この胸の痛みと涙も、…全てアレンが教団に来てからのことなのだ。








中途半端ですがマテール編はこれにて終了、です!
ひとまずはお疲れ様でしたー!



08.07.31 一部修正