『』 呼ばれた名前に瞼を開く。寄り掛からせた自分の身体は、誰かの暖かい腕に抱かれていた。『…、』オレを呼ぶ声音は、聞き覚えのある心地よいテノールだった。「…きみは、」彼の顔を見上げようと試みたが、頭と腰を引き寄せるように抱えている腕のせいで、それは叶わない。「誰…?」問いかけた言葉に反応はない。 (ここはどこだ?) 視線を横にちらりと移すと、白い空間に、大きな墓がふたつと、ぽつりとその脇にひとつ、小さな墓が立てられていた。『すまない…。』切なげに惜しむように、彼の声は歪んだ。 まばたきをひとつすると、先程まで何もなかった場所に、木柱の墓標が現れている。 不自然なその光景の変動に眉を寄せ、再度 瞼を閉じ、開けると、白い空間が一気に別の場所へ、…これはどこかの森だろうか。 ところどころ木が倒れていて、あたりは耳鳴りがするほどに静かだ。 「…っ?」 不意に、自分の頬が何かぬめりとした液体で湿っていることに気がつく。 生暖かい温度を感じた後、嗅覚が鉄の錆びたような、胸がざわつく血の匂いを感じ取る。 よくよく見れば、それはオレの手にも付着していた。 いや、視界が捕らえる自身には、血飛沫を含めるのならほぼ全身に渡り、それは侵食している。 それに対して、痛む箇所は、無い。 「!」 手の甲に、上から血が滴る。そうだ、オレはどこも怪我なんてしていない。ならこれは間違いなく、オレを抱えている人物からのものだろう。 『怪我は…』 「オレ、は…どこも…待っ、そうだ、今、手当てを」 口が突然の出来事に回らない。 心臓がどくんどくんと早鐘を打っているのが、自分の声よりも大きく聞こえた。 『…そうか。』 彼はふう、と一息、安心したように息を吐く。『世話が、焼ける女だ…』 これは誰だ。 いや、そんなのはもう、瞼を開いたときからわかりきっていた。 それなのに自分に問いかけるのは、その彼がこんな恐らくの大怪我をしていることを 認めたくなかったからだろう。 頬に触れる生暖かい血液は、一向に止まる様子を見せない。 廃墟には、たくさんのアクマの残骸がそこかしこに転がっていた。 「オレを、かばったのか…?」 『違ェよ。 …自惚れんな、阿呆』 抱える腕の力が、次第に弱っていく。 精一杯に彼を見上げると、うつろな黒色の瞳が、オレの全てを優しげに眺めていた。 「…カン、ダ?」 *** 「 ッ、 」 汗ばんだ腕が伸ばした先は今しがたオレを抱えていた彼ではなく、ただの空気と幾許かの埃があるのであろう空間だった。 「…!?」ぜぇぜぇと息が乱れている。己の上にかかったブランケットを発見し、ようやっと自分がおかれている状況を理解する。 (さっきまでの映像は夢で、今オレがいるのは簡素なベッドの…上?) 時折外から聞こえる波の音と、微かな虫の鳴く声がここは戦場とは似ても似つかない平和なところであると教えてくれているように感じた。 「なんだ、」 そっか、夢、か。 一人そうごちて、額に張り付いた前髪を掻き上げる。 妙にリアルで、嫌な夢だった。 (…やっぱり一人で寝ると)いつもそうだ、と思う。 髪を支えた手を確かめるように頬へ伸ばすと、肌の上に乗った水分に、指の滑る感覚。ああやはり。 神田が言うには、オレは眠っている間 声を上げず 泣いているらしい。 兄貴が死んだ日から、どうにもオレはおかしくなった。 15歳になったあの日からもう5年も経ったのに、まだまだオレの中の絶望と動揺は完璧には拭いきれていないようだ。 ――自分よりも大事にしたいと願った人々は、大半がもう、この世にはいない。 療養室に顔見せへ来た彼らをいつもどおりの笑顔で「いってらっしゃい」と見送り、「おかえりなさい」、と何度棺桶に向かい、呟いたことか。 (神田は…無事だろうか) さっきからそれしか考えてないな、オレ。 自分の考えたことにツッコミを入れ、自分に苦笑いをする。 どこに居るかはわからないけど、いつかは見つかるだろうと楽天的に考え、背を預けていたベッドから身体を起こした。「いっ、…てェ!」瞬間、緋腹筋がピキリと張る感覚。(…こ、)(こむら返りっ…!!?)声にならない悲鳴を上げブランケットをぎゅうぅと強く握り締める。 こむら返りするエクソシストなんてオレ聞いたことねぇぞ!か、格好悪…っ! どうにか治まった痛みにひとまず安堵した後、大きく溜息をする。 「――…アホらし。」 自嘲するように笑んで、ベッドから足をぶらりと降ろした。 低い身長に伴う足は、床には決して届きはしないのがまた悔しい。「畜生め」。逃げすぎたな、オレは、色々なことから。 鍛錬を怠って書類に逃げ、時には書類からも逃げて ただただ無意味な時間を過ごした。その結果がこれだろう。 …こ、こむら返りは違うからな!寝起きの生理現象なんだこれは…!!! ふくらはぎを擦りながら、一人言い訳をしてみる。 (教団帰ったら、)(誰かに鍛錬相手してもらおう) 誰がいいだろうか。 神田。 一秒で決着が付くな、あれは鬼だ。 リナリー。いや、女の子に頼むなんてそんなことは…! ラビ。 手加減されそうで多分イラっとする。 アレン…は、新人に負けたら悔しいしなあ…! 最近の交流が特に多いであろう4人を上げてみたが、どいつもこいつもなんだか最終的には微妙だった。 いや、わがまま言うなって話ですよね、はい。 こういうことが考えられるのは、少しは良い傾向なんだろうか。どうにかして昔の強さをオレは、取り戻さなきゃいけない。 …昔? 『そう、昔。』 どこからか聞き覚えのある少女の声がして、オレはびくりと身を震わせる。 「な、だ、誰だっ…!?」 『こっちよ、こっち』 可笑しそうに囁いて、少女の声は転がる。 その方向へ振り返ると、オレの横に同じような体制で、一人の少女がちょこんと腰掛けていた。 「おはよう。 良く眠れた?」「…え? え、あ、ああ、うん、まあ」突然の出来事に頭が回らず、疑念も無く舌足らずに返事を返す。「そう」少女はにこりと微笑んだ。 「…あー、と」 少し落ち着こう、と思う。 米神を数秒押さえた後、再び少女の方へ顔を向け、その姿を確認した。 オレの一挙一動を嬉しそうに眺めている彼女は、クリーム色のカーディガンを羽織り、そこに流れている真っ直ぐな髪はオレやアレンと同じ白色、病人のように白い肌に瞳の色は誰かを髣髴とさせる鮮やかな空色だった。 「こうやって話をするのは久しぶり…」 嬉しそうに、それでいて静かに呟くと、少女はオレの目を見て首を傾げた。 「なあに? 不思議そうな顔して」 「何もどうも…… 君は誰で、なんでここにいるんだ?――診療所みたいだから、…入院?」 そう、オレの横、ということは先程までオレが寝転んでいた場所に座っているということになる。 それはおかしいだろう。後ろを振り返って確認もしてみたが、窓は開いてこそいるものの人間が通れる広さではないし、オレはなんの気配も感知はしなかった。(聴覚は優れている自信がある)。 「………忘れちゃった?」 くりくりとした目を見開いて、口元は弓形を描く。 心外そうに弾かれた言葉に、眉根を寄せる。 背筋に嫌な汗が流れた。 いつの間にか心臓が高鳴っていることにも気が付く。鳥肌が立つ。 全身が少女との会話を拒んでいるようだった。「よく思い出してみて?」囁かれた言葉に頭がガンガンと痛む。なんだこれは、と思う。 わけがわからない。 「…君の声、は………」 痛む頭を抑え、上目に少女を睨む。 聞き覚えのある声。 「気絶する直前、聞いたものに似てる…、」 「うん。 まあ、それくらいなのかな、今思い出せるのは」 「今…?」 「 ねえ」 「?」 「強くなりたいって、願ったでしょう?」 どうしてそんなことを知っている? 訊ねたいことは山ほどあったが、それ以上に彼女と関わりたくないという気持ちが膨れている。 白髪の少女に一つ小さく頷くと、彼女は笑みを深めて、ベッドから降り、ドアへと向かっていった。 「全部知っているわ。 貴方が弱くなった理由も、何もかも」 「…何を、」 「予言、してあげる。」 少女は笑う。 「近いうち、貴女はきっと――私を求める。」 *** 『くれぐれも安静にね!』 『はい』 「……、」 カチャンと聞こえた金属音と二人分の声に意識が覚醒する。 一人は今回の任務で生き残った探索部隊のトマ、それともうひとつは聞き覚えの無いものだったが…、恐らく言葉の内容と自分の寝ている場所、身体に施された治療痕からドクターか何かであろうと推測し、目を開ける。 「チッ」 身体を起こし、巻かれた包帯と熱を持つ身体に舌打ちした。 常人より回復のスピードが早い分、その際に発生する熱も大きいのだ。辺りを見回すと、左には縦横に格子が張り巡らされた窓が2つ、宵闇を室内に届けていた。 右に視線をやると、ドクターらしき男と会話を終えたトマが此方に気が付き一礼をする。 「御容態は…、」 「…まだ半分だな」 「左様でございますか」 「おい」 何を尋ねると決めているわけではなかったが、口が勝手に動く。「はい、なんでございましょう」トマが一拍遅れで恭しく返事をし、不思議そうに此方を見ている。 「……イノセンスは、保護したのか」 「はい、ウォーカー殿が無事保護されましたが…、」 「…? あいつは今 何やってんだ」 「未だ都市にいらっしゃいます。 イノセンスをララ様に戻したので、」 「見張りか」 くだらねぇ、と一つ呟き、ベッドに背を凭れかけさせる。 移動した荷重にスプリングがギ、と悲鳴を上げた。 とんだ未熟者が入団してきたものだ。クロス元帥の弟子だと言うからどんな奴かと思えば―― しかしその未熟者に一度でも自分が借りを作ったことも、また事実なのだ。 「チッ」。腹立たしい。自分の力にそぐわない壮大な戯言を、願うように口にする。 この戦場でああいう馬鹿は早死にするんだ。 …そう、あいつのように。 瞼の力を抜き、目を細めると、耳の中で 二人の人物の声が反芻した。 『犠牲ばかりで勝つ戦争なんて 虚しいだけですよ!』 『…犠牲なんて、本当は無いほうがいいよね…』 『僕はちっぽけな人間だから、大きい世界より目の前のものに心が向く …切り捨てられません、』 『みんな大事なんだ。全部愛しくて。 世界中とは言わないから、俺は、せめて目の前のものくらい、』 『守れるなら 守りたい!』 『守れるなら、守りたい。』 ――あの新人は口先だけなら、あいつに酷く似通っている。 もう何年前になるか。俺が教団に来て最初に会ったエクソシストは、今はもう亡き人。 医療班・療養室を統べる班長の前任でもあり、やたらめったらお節介な、・という男だった。 『きみが神田ユウ?』 『(日本語…) は? 誰だあんたは』 『あはは、初めまして。 コムイ、この子の面倒も僕が見ていいのかな』 『新人エクソシストの世話は君の仕事みたいなもんだしね』 『よーし。 ユウ、まずは英語覚えよう英語。3日でマスターしろ』 『勝手に話を進めるな!』 『ああごめんごめんね、でもきみも喋れないのは困るだろう?』 『…う、』 『大丈夫! 日本語より難しい言葉なんてそうないよ、きみはできる男さ!』 出会い頭に衣服の襟首をつまみ図書室まで連行され、宣言どおり3日で初歩の会話を修得させられた。 表面は温和に人懐こい笑顔で、老若男女 誰も彼をも味方に付け、しかしその裏面はムカつくほど人の扱いに長けた奴だったな、と思い返す。 そして病的なほど妹煩悩な男だった。 口を開けば二言目には「が…」と続くことも全く珍しくは無いほどに。 (だからか) 暗示にかけられたのかもしれない、俺は。 『お願いユウ……もし、僕が帰ってこないなんてことがあったら、』 翳った笑顔が脳裏に焼きついている。 「(…っ。)トマ、あの阿呆はどうした」 「は、と申しますと…?」 「 は、無事か」 なんとなしに窓の外へ視線をやる。 宵闇の空間に、うっすらと地中海が見て取れた。 「……?」トマから返事が無いことに疑問を抱き、彼のほうへ視線を戻すと、俺の質問が予想の範囲外だったのか、ぽかんとしたようにこちらを見ていた。 目が合うとはっと気を取り直したように口を開く。 「殿は、未だ眠ったままでございます。 …魘されているようでした」 「…。」 「ドクターによると疲弊しきっているそうで。 しかし怪我は、私を含めた4人の中で、一番軽いと」 「…そうか。」 ふぅ、と安堵の溜息が自然と零れる。 無理もない。どうせこの任務に就く前、医療班の方で貫徹の状態が何日か続いたりもしていたのだろう。 (…今のうちに休んでおけば良い。) 「オレも寝る」 「は、かしこまりました」 「トマ」 「はい?」 「……礼を言う。」 「…!! い、いえ。滅相もございません」 驚いたようにトマの声がどもった。 全て熱のせいだ、と自分に言い訳をする。 そうじゃなければ、自分は決してあの馬鹿のことなんて思い出しはしないし、その人物の顛末に今更 哀悼を感じることは無いだろう。 「…チッ」 トマが部屋から出て行ったのを確認し、再び一人舌打ちを落とした。 *** ベッドの上で、ぽつんと一人、進んでいく時間の流れに取り残されていた。 「…な、」 なんだったんだ、今のは。 夢か?夢なのか? 頬を自主的に引っ張ってみるという古典的な方法を試みると、正常に痛みが走った。 夢じゃないとなれば、何だ。 幻覚? オレはそんな変なモノ見るような病気にゃかかった覚えねーぞ。 胡坐を掻き思考に耽っていたが、それはどう足掻いても推測の域を越しはしないことに気が付いて、中断する。 そうだ、答えの出ないことよりももっと有意義なことをしよう。 とりあえずベトベトとした汗を流したい。 ここは恐らくこぢんまりとした診療所だ、シャワーくらい借りられるだろう。 ―コンコン、 と音を立てて、先程幻覚少女が出て行ったドアからノックが響く。 なぜか反射的に身構えると、白いコートに身を包んだトマがゆっくりと入ってきた。 「 申し訳ございません、起きていらっしゃいましたか」 「…ああ。 いいよ別に。 どうした?」 「いえ、先程 魘されていたようなのでよろしければ水をと」 「 トマ」 「はい」 「お、お前…良い奴だな…!!!」 「…はあ」 トマから冷水の入ったグラスを受け取り、礼を一つ述べる。 些細な気遣いがとても嬉しく感じるのは、近くに傍若無人野郎が2人もいるせいだろうか。オレ感動! 「あのさ、聞きたいんだけど」 「はい、なんでございましょう」 「神田もここにいるのか?」 「ああ、神田殿でしたらここを出て右の突き当たりの部屋にいらっしゃいます」 「そか…、意識とか容態とか、わかるか?」 「ドクターが言うには全治5ヶ月の重症だそうですが…もう大体は塞がっているようでした」 「ほほう」 「…、殿」 膝に肘を付き頬杖を作っていると、トマが迷うようにオレを呼ぶ。 なんとなく真面目に聞いた方が良さそうな雰囲気が流れ出したので、頬杖を外し背筋を伸ばして、少しだけ佇まいを正した。 「ん?」 「神田殿は昨日、お目覚めになられました」 彼の瞳を覗き込み、首を傾げ続きを促すと、トマは言い辛そうに口を開いた。 「お節介かもしれませんが、様子を見に行ってあげてはくださいませんか」 「…へ?」 「いえ、…心配されているようだったので」 「は、誰が、何を?」 「神田殿が、貴女のことを」 「………。 まじか」 想定外の人物の名にぽかんと数秒、口が閉まらなくなる。 神田がそこまで心情を人に悟らすなんて、滅多に無いことだからだ。「…まじか」確かめるように、同じ言葉を口走る。 なんだか照れくさくなって頬をカリカリと掻くと、トマがぽつりと呟いた。 「殿は、とても大事にされていると思います」 「……………や、やめろっ、照れるから! …かっ、かゆ、痒いからなんかっ…!!」 両手を身体の前でぶんぶんと振る。 トマが微笑ましそうに笑んだのを見て、なんとなく複雑な気分になった。「…ま、まあ…、」こほんとひとつ、咳払いをして熱くなった頬を誤魔化した。 「気が向いたら、行ってやるさ…、うん。」 *** 気が向くの早すぎとかそういうのはいっそ無視すべきだ いやだってオレって気まぐれだから サ☆ うんていうかすいません今だけそういうことにしておいてくださいお願いします。 オレが眠っていた病室、右突き当りの部屋のドアの前で一人うろうろと言い訳を並べ、入るか入らないかを決めあぐねているオレはきっと不審者とみて間違いなしだろう。 自分でも何でこんなに迷っているのかが不思議でしょうがない。 ト、トマに言われたからとかそういうのじゃないぞ、オレはだな、オレ本人の意思で神田が心配で心配で体を洗う手も疎かに…――、余計恥ずかしくなったから御託はもう、止そう。 ―コンコン、 礼儀上ノックをしてはみたが、返事は無い。寝ているのだろうか。 「…失礼しまーす」かちゃりとドアノブを捻り、薄暗い部屋の中へと進入する。 一つの人影が、ベッドの上で静かに埋まっていた。「…神田。」思わず口を衝いて出た彼の名前に、自分でも驚き右手を添える。 神田は依然眠ったままだ。良かった。 「…ん、」 足音を殺しながら、それでいて就寝中の彼に不信感を抱かせない程度に気配を零しながら、ベッドの傍まで歩んでいった。顔を覗き込むと、滑らかな頬に小さな掠り傷ができている。「(…無粋なアクマだな)」オレは神田の顔がとても好きだ。 芸術品みたいに綺麗で、滑らかな肌は触れるのも心地が良い。 右手でその傷に触れると、彼は微かに身じろぎをする。 そっと顔を近づけて薄いベージュの唇を掠めるように口づけると、薄暗い部屋でオレの右の指先が、一瞬鮮やかな水色を灯した。 手を退ければ掠り傷は無くなっている。 「(…少しは調子、戻ったか)」 「何してんだ」 「…! あ、お、おはよう」 手のひらを握り締めたり開いたり、動作確認するように動かしていると、ベッドの上で神田の黒曜石の瞳が怪訝そうにこちらを観察していた。 どもるように挨拶をすると、彼は身体を起こし、オレを再度確認するように不躾にこちらを見回した。(正直身長を確認されているようで不愉快だった)。 「病人を夜這いにでも来たのか?」 「 なっ あ、阿呆かァァァァァ!!」 「…ふ、てめぇには負ける」 「っわ、ふぎっ…!」 腕をくんと引っ張られ、突然の引力に逆らうことも無く神田の滞在するベッドへダイブすると、彼の硬い胸に鼻をぶつけ情けない悲鳴を上げることになった。(ど、どいつもこいつも…!)オレの高くて(略)い鼻が潰れたらどうしてくれる気だ!! 神田の胸に額を当てたまま米神を引きつらせていると、彼の整った指先がゆっくりオレの頬に触れる。 「…?」 それが合図だというかのようにオレは彼を見上げる。 吸い込まれそうなほどに綺麗な瞳の中には確かに自分が映っていた。ああ、いけない、と思う。魅入ったらしばらく抜け出せなくなることは、今までの経験上で思い知っていたから。 なるべく不自然に感じられないよう、ゆっくりと滑らすように目を逸らし、その視線を未だオレの右頬に在る神田の指先に持っていった。 「…熱いな。」 神田の左手に、オレの青白い小さな手のひらを添えると、上体を起こし膝で前進する。 神田の額に触れると、そこにはやはりいつもよりも高い温度が篭っていた。 「熱、あるのか?」 「無ェよ」 「 熱いんだけど」 「お前が冷たいだけだ」 「37.6℃。」 「…あ?」 「意外とあるんだな」 じと、とした視線で神田を睨み付けると、彼は やれやれと言った様子でふう、と一つ溜息をつき、オレの手を静かに振り払う。「あっ、にゃろ」素っ気無い態度に不満を漏らすと、神田はぼんやりとした視線で俺の目を覗き込んだ。潤んだ瞳はなかなかに色っぽい。(負けた!) 「…そういうモンじゃねぇ」 「?」 「傷を治すのに、熱が出るだけだ」 「 あ…そっか、」 そういえばいつも怪我をした時は、少しだけ体温が上がっていたなと思い出す。 性急に再生をすることで、反応の際の起きる熱が、きっと常人よりも多いのだろうな、と昔考えたことが頭の片隅に浮上した。 自分がそれを忘れていたことに失態を感じ、少々火照った頬を見せぬように俯く。振り払われた手持ち無沙汰な手をおずおずと膝の上に置いた。 「…ごめん」 「別に」 会話がなくなった所為で沈黙が訪れる。 普段はこの静かな時間もただ落ち着くだけのものだが、自分が反省している状況ではそうもいかない。 会話の糸口をぐるぐると頭の中に巡らせると、神田の手が今度はオレの腰を引き寄せた。「っうわあ!」片頬が神田の熱い胸にぶつかる。 なんだなんだ、と思い、顔を上に上げると、彼の整いすぎた顔が眼前に在ることに気がつく。「…。 へ?」次の瞬間、肩をがちりと支えられ身体が反転する。「ッう、」ばふっ、という音と共に後頭部の細胞が枕の上に沈んだのを感じ取り、すこしだけ遅れて反射的に閉じた目を開ける。 「…、? 神田?」 合うかと少しだけ期待していた彼の視線は、どこかオレのそれとは少しずれた位置に向いている。 何を見ているのかと思いつつ、ただまっすぐと神田の顔に視線を送っていると、ようやっと気がついたようにこちらの目を一瞥した。 「 見てんじゃねェよ」 「え、ええっ…?(何だこの理不尽は!!)」 いやお前ちょっと…お前こそみてんじゃねェよ と目には目を歯に歯をの原理を適用させつつ戸惑うと、神田の大きな手のひらがオレの目元を乱暴に抑える。(何でそんなオレに見られたくないんだ…!)良くわからないショックを受けていると、柔らかく、少しだけ熱い何かがオレの唇に重なった。(…、)(!!!)。 「なっ…」 驚きの声を零した際に、微か開けてしまった唇の隙間から神田の舌が目敏く進入してくる。「っ…、」 ゆっくりと絡まる舌に頬が熱くなる感覚を覚え、開いていた目を閉じた。 未だ目元を抑えている腕に触れると同時に、彼の舌が舌根を舐め上げる。粟立った首筋をごまかすように瞼を一層強く閉じると、神田の唇がオレのそれから離れていく。 銀糸が宵闇に浮かび上がり、程なくして消えた。 「…おい、何してんだ」 「………?」 「レグルス」 神田が訝しげに指した先は、暗闇の中でぼんやりと光を纏う、オレの右手だった。 唾液で湿った口元を左手でぐい、と拭うと、右手のひらを持ち上げ 未だ本調子ではないぼんやりとした思考をそちらに向ける。 「(発動してる…)」「…おい?」 これはもしや、と思い神田の胸元に手を当てると、そこの部分の熱がより一層増した。(ああ、やっぱりか)この小さな王はオレとのシンクロ率が現在40%弱、自分の意志で全てを制御できるほど大人しい奴でもなく、時たまこういったことがある。 もともと、どちらかといえばオレの『意志』よりも『心情』に強く呼応するイノセンスなのだ。 つまりこういった状態に陥った理由は、 「神田の怪我を治したいと思ったから…、とか?」 「っ…、阿呆女、また倒れる気か、もういい」 「えー」 「お前の力を借りなくても じきに治る」 右手を胸元から払いのけられ、それに微かな不満を洩らすと、神田のしっかりとした腕がオレの身体を抱きしめるように囲う。 「冷てェ」 「(……)ははは、悪かったね」 「…いや、」 「?」 「丁度良い」 「!」 甘えるように首筋に滑らされた彼の顔に、思わず背筋を固まらせる。(あああ神田が)(神田が)(神田が…!?)大人しい! えっちょっ…こういう時にオレはどうしたら…!? 脳内パニックで青白い両手を宙にわなわなと震わせていると、うつ伏せにされていた神田の顔が横向きにと動かされる。 その際に起きるぞわりとした怖気か、はたまた別の何かに零れかけた声をどうにか飲み込むと、神田は少しだけ眠そうな声でゆっくりと言葉を紡いだ。 「明日の昼には発つぞ‥」 「 、それまでに…治るのか…?」 「…なめんな…」 彼の口調が徐々にまどろんできている事に笑みを零す。 その際に起きた身体の揺れが伝わったのか、神田の手が不満そうにオレの頭を引き寄せる。「テメーもねろ」「…はいはい。おやすみなさい、神田。」「…ああ」熱い胸に頬を押し当てると、神田のそこからは熱のせいだろうか、いつもより早い心拍音がたしかに伝わってきた。 ちらりと伺うように彼の顔を見上げる。 目を瞑り、安らぐような顔がそこにはあった。(もう寝たのかな)さすがに早いな。 感心するように思い浮かべ、自分も目を閉じる。 瞬間、映るのは奥行きの無い暗闇だったが、隣接する体温のおかげで、それは心地の良いものにも感じられた。 「……お疲れ様。ありがとう、神田。」 08.07.31 一部修正 |