「困ります、お客様!」
「ぎゃう!」

 いつも通りの飛び乗り乗車に、車内の添乗員が困り果てたように駆け寄ってくる音が、微かに聞こえた。 (痛ェ!) やはり少々 感覚ボケしているのか、着地に軽く失敗して車両の鉄板に顔を打ち付けてしまった。 (オレの高くて美しい鼻がッ…!!)(つぶれたらどうしよう!)

「…。 だ、大丈夫ですか…?」
「笑うなら笑えよっ…! なんだその見下すような目ェェェ!!」

涙目でじんじんと痛む鼻を押さえ、言動は心配そうだが口調、顔の表情は、どう見ても笑いを堪えている様子のアレンに叫ぶ。 鼻に響いて痛い。 風がびゅうびゅうと、唸るような音で流れていた。 (…髪が…、) 空いていた左手を髪に寄せ、抑えるようにすると、風圧に体が揺らぐ。 神田とトマはとっとと車内に降りていて、今はアレンが(本来の目的ではない)降り口を占領している。

「ちょ、アレ …!! さっさと降りろ 風圧で髪の毛がやばいんだって!」
「こちらは上級車両でございまして 一般のお客様は二等車両の方に…、ていうかそんなところから…」
「黒の教団です。 一室用意してください」
「てめぇら シカトたぁ良い度胸だ! 全員蹴散らしたる! そこに直りやがれ!!!」
、静かにしてくれませんか?」
「ご…ごめんなさい」

ようやっと下に着地したアレンに、ほっと気を緩ませる。 降り口から中を覗くと、明るい通路を添乗員が小走りで進むのが見えた。 きっと部屋を用意しに行ったのだろう。

「なんです 今の?」
「あなた方の胸にあるローズクロスは、ヴァチカンの名において あらゆる場所の入場が認められているのでございます」
「へえ」
「ところで  私は今回マテールまでお供する探索部隊のトマ ヨロシクお願いいたします」

 礼儀正しく、会釈程度にトマが挨拶をする。 教団内で何度か見知った顔だ。

「よろしくお願いします、トマさん。 ‥で? は何時になったら中に入ってくるんですか?」
(この野郎!)(あとで絶対絞める…!!!) お前がオレの真下からどいてくれたなら、すぐにでも」
「ああ、ごめんなさい。 気付きませんでした」

 その言葉に、どいてくれるのかと思いきや、彼はその場所から一歩も動かず、両手をゆっくり、前へと差し出した。「…なに?」 靡く髪を多少なりとも気にかけつつ、問いかける。

「受け止めてあげますから、どうぞ飛び降りて・・・ああ、神田、車内で抜刀なんてしないでくださいね?」
「…………。」
…ッチ。 冗談ですから!」
「冗談にしちゃ おふざけが過ぎんだよ クソモヤシ」

アレンが両腕を耳の位置まで上げ、苦笑いで後ろに下がる。 (やっとか…) 少々くたびれ気味に、軽い音を立てて車内へと降り立つ。 暗い闇の中から、急に明るい場所へ来たせいで目が軽く、ふらりと眩んだ。

(みつあみは ほどけてないな)

 なでるように確認をする。 自分で髪を結うのが破滅的に下手くそなので、解けると少々厄介なのだ。 漆黒のコートを軽く払う。 少しばかり付いた砂埃を落として、朝このみつあみを結ってくれた、漆黒のコートと同じ髪色の彼のほうをなんとなしに向くと、「…。 うわあ」 …なんとなしに、向くと、朝の食堂と同じような光景が、そこにはあった。(神様!!)(オレ、 な に か わ る い こ と し ま し た か )

殿、神田殿、アレン殿。 こちらの個室へどうぞ」
「はーい。 さんきゅトマ…。 お前いいやつだな…」
「はあ」
「あいつらとは比べ物にならん」

「ほーら、神田のせいで、疲れてるじゃないですか!」
「あぁ!? 明らかにテメェが原因じゃねェか!」

おまえらどこの子供だ そう突っ込みたくなるほどにぎゃあぎゃあと、殺気の渦巻く はた迷惑な喧嘩が車内で起こる。(あー…もう、)コムイの言うとおり、この二人との任務って言うのは結構大変かもしれない。 オレはお守り役か何かですか。(いつもはお守りしてもらう方なんだけどなぁ…)「おい、部屋!」軽く呼びかけてみるが、返事は無い。オレの声は聞こえているのだろうが、意地になったようににらみ合っているのだ。(これだから男の子は!)

「おい」
「「………」」
「聞こえてるんだろ」
「!?」

問いかけを無視されるのは、嫌いだ。(寂しいし、)ちょっとだけむかつく。 開いた扉を、指し示すようにノックした後、自分でも驚くほど冷め切った低音で、彼らに言う。


「さっさと入れ。 …無視すんなよな」



***


「…えっと…で、さっきの質問、なんです…けど、」
「 神田に聞け オレは寝る」
「(まだ怒ってる…!!) ごめんなさいって…機嫌、直してください」
「 い や だ 。 あ、神田 膝貸して?」
「  あ? …ああ」
「‥…!! (なんで神田ばっかり!)」

 いつもよりやさしい、もとい、萎縮気味の神田に頬を緩ます。 別にもう、アレンが気にするほどには怒っていないのだが、今彼らの前で機嫌を治したら またしても喧嘩が勃発する気がしたので、うっすら不機嫌な雰囲気で神田の膝に寝転んだ。揺れる汽車には枕がないと、酔ってしまうのだ。 一つ息を吐いた後、今回貰った二冊の資料のうち、比較的薄い 一冊へと目を通す。(…マテール、)


今はもう 無人化したこの街に 亡霊が棲んでいる――、

亡霊は かつてのマテールの住人

町を捨て移住していった 仲間達を怨み その顔は恐ろしく醜やか

孤独を癒す為 街に近づいた子供を 引きずり込むと云う


「(亡霊…か)」

 民の移住、無人化、亡霊。 イノセンスがあるとするなら この亡霊とやらがおそらく、それを所有している、或いは その手がかりを持っているのだろう。

「…何でこの奇怪伝説と、イノセンスが関係あるんですか?」
「めんどくせ…
「イノセンスって、いうのは……、」
「 おい?」
「……んー、ねむ、い…」

 目をごしごしと擦る。 説明しようと頑張るが、どうにも口の呂律が回らず目も霞んできた。 開いた資料をそのまま顔に降ろす。

「…。 チッ、イノセンスってのはだな…」
「(今 また 舌打ちした) って子供みたい…ですよね」
「見んな。 減る

神田の低音が耳に心地良い。 寝るとは確かに言ったが、まさか本当にこうなるとは…。(血は昨日、飲んだし)きっと、大丈夫。 悪い夢は見ても、あいつは、来ないはずだ。



***



ぱ ち ん 。 ライトの降りるような音がしたかと思うと、黒い闇の世界にひとつの景色が浮かび上がった。 見えた情景は、雨の降りしきる、鬱蒼と茂った森の中。

「お前の名前は?」

 冷たい闇の中で、額に聖痕を宿す悪魔は、白髪の少女に問いかける。 「……」少女は、答えない。 おそらく、目の前の出来事に、頭がついていかないのだ。 「おにいちゃん…」少女は、呟く。
(なんて、悪い夢)
あの少女は、昔のオレだ。

 15歳の誕生日、兄が家に帰ってきた。 彼は黒の教団に勤める、医者だった。 何をやらせても、きちりとこなす、貴い人。 そして彼は、医療班の班長とエクソシストの役割を兼ねていた。(忙しくて、なかなか帰ってきて くれなかった)それでも、「妹の誕生日くらい、一緒に過ごしたいから」といって、彼は家へと帰ってきてくれたのだ。

「…お兄ちゃん」

(やめろ)

少女は、細身の男に抱きしめられていた。 彼女の華奢な肩に顔を預ける人は、間違いなく、彼女が求める、兄だった。  優しく笑う顔には、生気がなく、そっと閉じた双眸は、……もう永遠に、開くことが無いのだろう。 「どうして…?」 白髪の少女の目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。(やめろ)。 胸がずきりと痛む。 泣くんじゃない。(頼むから、)泣かないで。 昔の自分の涙は、何故か今のオレを否定しているような気がした。あの雫は、オレがずっと、今も 無くしたいもの。

「‥、っ…」

せきとめられていたものがなくなったように、彼女は大粒の涙をぼろぼろと流す。 呟いた名前の主からの返事は当然無く、その呟きは、暗い孤独な空間に、無慈悲に飲み込まれてゆくだけだった。



***


 目の前に座っている鬱陶しい男、モヤシは、どうやら半分夢の中のようだ。 (…暇だ) それに対して俺は、眠くも無いがやることも特に無い。 備え付けの肘掛に腕を預け、外の風景をぼんやりと眺める。

「…っ、う、」

人の膝を遠慮無しに借りて、しかもそこで熟睡を決め込んでいる少女から、微かに苦しげな息が零れる。 モヤシなんかにこいつの寝顔を見せるのも癪だったので、顔に乗っていた資料をそのままにしていたのだが…、苦しかったのだろうか。

「… ?」
「……っ‥」
「!」

団服のコートが、ぎゅうと強く握られる。 資料をどけ、飛び込んできた彼女の目元は、苦しげにゆがみ、微かに涙の跡があった。 「…」 呟かれた男の名は、俺も良く知る彼女の兄の名前だ。 の額に手を添え、前髪を払ってやると、華奢な身体がびくりと震えた。

「っ…、 か、ん、…だ?」
「…
「え、あ、ご、‥っごめん!」

囁かれた自分の名前に、何を誤解したのか彼女は俺のコートをぱっ と放し、潤った目元を驚いたようにして、拭う。 「…ん? オレ、何か、寝言 言ってた?」 繕うように笑う顔が、痛々しい。 白い頬に手を添える。 何時もこいつがしてくるように口付けでもしてやれば慰みになるのかと思ったが、彼女の目の焦点が、俺を通して違う何かを見ている気がしたので、それは阻まれた。 「…チッ」舌打ちを一つして、彼女の背中を 勢い良く引き寄せる。 の口から、驚いたような悲鳴が静かに聞こえた。

「な、なんだよ!」
「…寝てろ」
「 へ?」
「まだ、時間が掛かる」

 あんなもの、あんな事件は忘れろと、強く言ってやりたい。 しかしそれはいつも、いつでも、このどこまでも透き通った血色の眼に、阻まれるのだ。「神田、」 優しい声で、俺の名を呼ぶ。(こいつの声は、居心地が良い)「…ありがと」 嬉しそうな声音とともに、背中に腕が回される。

「…おやすみ、なさい」